歴史の中で育まれた松下の精神
松下善四郎の歴史は、数多くの挑戦と成長を
重ねてきました。
時代の変遷を乗り越え、事業を拡大し、社会に貢献し続けるその精神は、現代においても
松下の礎となっています。
この歴史は、ただの過去の出来事ではなく、
今もなお次の時代へと受け継がれていきます。
1代目 松下善四郎 – 商売の始まり
1代目は、石川県加賀市から大阪・北浜に移り住み、商売を始めました。大阪を商業の拠点として選び、
松下商店の礎を築き始めました。
彼の決断が、後の商業成長を支える重要な基盤となります。
2代目 松下善四郎 – 家業の継承と新たな展開
2代目は養子として松下家に迎え入れられました。
武田製薬工業株式会社の娘と結婚しました。
この結婚は、家業の発展に大きな影響を与え、
さらなる成長を促進しました。
3代目 松下善四郎 – 新たな挑戦と飛躍
3代目は、1代目の長男として株式会社松下商店を
創業しました。
彼は、武田薬品工業株式会社における洋酒部門の代理店として事業を開始しました。
さらに、株式会社味の素の特約店として西日本から満州まで商品を流通を担当しました。
株式会社味の素にとって、新しい市場を開拓し、事業を拡大に貢献しました。
5代目 松下善四郎 – 事業拡大と戦時体制への貢献
5代目は3代目の長男として株式会社松下商店を受け継ぎ、会社規模の拡大に尽力しました。
特にレトルト食品(缶詰)の生産に注力し、
日本軍向けに供給しておりました。
また、済州島に工場を構え、満州への流通を担っていました。
また、アサヒビール株式会社やカゴメ株式会社の特約店としても成功を収めました。
6代目 松下善四郎 – 組織改革と新たな未来の創造
6代目は、戦後、株式会社松下商店と株式会社鈴木商店を合併し、株式会社松下鈴木商店として
アサヒビール株式会社やカゴメ株式会社の特約店として、西日本から東海地方にかけて食品の流通を担当してました。
事業の規模を一層大きくし、
最終的には伊藤忠食品株式会社株式会社に売却しました。
7代目 松下善四郎 – 新規事業の立ち上げと独立
7代目は、株式会社松下鈴木商店から伊藤忠食品株式会社への売却に至る激動の時代を経て、独立を果たしました。
大阪・中崎町に「松下善ビル」を建設し、その運営を行いました。さらに、松下マーケッティング株式会社を設立し、顧客企業の食品マーケッティングを担ってきました。
La Vamont・株式会社デリーのレトルトカレーなどを取り扱い、国内商品や海外商品を日本全国に展開しました。
7代目は海外企業に直接伺い、交渉を行っておりました。その成果もあり、多くの海外商品を日本へ輸入しました。海外企業の日本参入にも貢献してきました。
また、重松貿易株式会社とともに海外ワインの普及にも努めました。
全国の小売店への販売や百貨店でのデモンストレーションを行い、事業を拡大しました。
8代目 松下善四郎 – 新たな時代への挑戦
8代目は、松下マーケッティング株式会社で新規事業「梅田の茶室」を考案しました。
この新しい事業は、松下マーケッティング株式会社の広範な食品流通網を活用し、訪日外国人向けにお茶室体験を提供しております。
日本の伝統文化を世界に紹介することに目的にしております。
伝統と革新の融合
松下善四郎家の物語は、ビジネスの世界でいかにして伝統と革新を融合の歴史です。
過去の実績に学び、未来に向けて新しい挑戦をし続ける姿勢は、今後の更なる発展を誓わせるものです。
ご予約は公式ホームページから!
古民家に茶室?
100年以上も前に建てられた古民家を楽しんでください。
まさかの階段。
そして、まさかの茶室。
大きい茶室は、『善龍庵』
ゼンリューアン
The DRAGON ROOM
小さい茶室は、『善虎庵』
ゼンコアン
The TIGER ROOM
抹茶を楽しむ
軽い緊張の中、抹茶(粉)を茶碗に入れ、少し高い位置からお湯を注ぐ、茶筅(ちゃせん)で60回以上回して、抹茶を点(た)てる。
あなたは点(た)てたことがありますか?
純粋に抹茶を楽しみ・味わい、新しい経験をしてください。
八代目 松下善四郎は難しい事は言いません。
フォトスタジオだ!
着物を借りて、とっても簡単な帯を巻き、写真を撮る。
着物姿とお釜と茶碗で撮る。
最高の笑顔を撮ってください。
え??壁が変わる??
波??富士??
